銅門の姿
2014年10月28日、江戸城跡取材の為に、またまた皇居東御苑(本丸・二ノ丸・三ノ丸部分)を訪れた。 前回は見たり写真を撮ったりしなかった、というよりその存在すらわからなかったので、今回はそれを見て写真におさめるべく、銅門跡を探してみた。 このとき資料『江戸城』(学研 2000年)の「江戸城弘化度本丸・二ノ丸復元図」を見ながら探し、 そののちも、ここに描かれている銅門の姿を想像しながら思慮をめぐらしている。(あくまでも復元図なので、厳密に正確ではないかもしれないが。)
復元図を見ると、銅門は二ノ丸の下乗門(大手三ノ門)の西側に隣接している。 下乗門枡形内、西側の面の裏が銅門枡形内東側の面になっており、この部分の石垣を共有している。 共有というよりも、下乗門の石垣を銅門が借りているという印象を受ける。 また図からは、左折れの枡形門で、枡形内には高麗門をくぐって右手のほうに番所があったことが見てとれる。
復元図以外にも古写真『旧江戸城写真帖』のうち 「二ノ丸跡・銅門(第五図)」と 「大手渡門・銅門(第六図)」に 1871(明治4)年当時の姿が見られ、第五図、第六図共に銅門の渡櫓を確認することができる。
銅門を探せ
ということで、まずは下乗門を目印にして、その近くを探してみる。 下乗門は前回の取材の時によく見て写真も撮ったので、どこにあるかはっきりとわかっている。 その近くまで歩いて行って、あたりをグルッと見回すと、目の前には百人番所があって、 その先のほうには中之門が見えて、あといろいろ石垣があって・・・。
(ん?銅門は?)
無い。いや無いわけがない。しかし枡形門の石垣らしいものを発見できない。 もう一度資料の復元図をよく見て、下乗門を軸にしながら場所を確認、落ち着いて銅門があったはずの場所を見てみた。 すると、これかもしれないという遺構が目に入った。 復元図と照らし合わせてみると、このあたりが高麗門で、このあたりが渡櫓門だとわかってくる。
(しかしこれはわかりにくい。だれがここに銅門があったと、気付くことができるんだ。)
と思ってしまう。それもそのはず、南側高麗門とその石垣、西側渡櫓門とその石垣は完全に撤去されていて、 更にその跡地には斜めに歩道が整備され、枡形内は芝生や植木で整えられており、立ち入ることはできない。 番所も無い。それで案内板(説明版)や「銅門跡」と書かれた石かプレートも無いから、だれも気が付かず、 遺構のほうを見ることも無く通り過ぎて行く。 これを銅門枡形の遺構だと認識して見ているのは、筆者一人だけだった。
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銅門・高麗門跡(撮影)
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銅門・渡櫓門跡()
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銅門・渡櫓門の石垣1()
枡形の外から見たときの左側だけ残されている。写真は門内の面。
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銅門・渡櫓門の石垣2()
枡形の外から見た面。 これは 『旧江戸城写真帖』第五図 にも見られる。 わかりやすい白い築石の位地だけを確認してみても、当時と変わっていないように見える。
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銅門・渡櫓門の石垣3()
枡形の外から見た面。
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銅門の枡形内()
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銅門枡形の遠景()
枡形の外側、渡櫓門の門前から見た銅門。 写真右のほうにも、かつては渡櫓門の石垣が続いていたが今は無い。
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隣は下乗門()
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下乗門枡形内、西側の石垣()
銅門東側石垣の裏は下乗門の石垣。