護国山天王寺と五重塔

 東京都荒川区にある日暮里駅は1905(明治38)年に開業、1931(昭和6)年には京成線の駅も開業し、2008(平成20)年には都営線「日暮里・舎人ライナー」も開業してその始発駅となっている。 近年は駅の東口、低地側の再開発も進んで高層ビルが立ち並ぶようになった。 そんな日暮里駅の周辺も、西口のある高台側は寺院や墓地が多いためか、開発が進んでおらず、古き良き日本の風景が色濃く残っていて、外国人観光客の姿もよく見られる。 JR日暮里駅の南改札口を出て左へ歩き、T字路で左側の紅葉坂と呼ばれる坂道をのぼり、谷中霊園に向かって歩いていくと左手側に寺があって、これが天王寺である。

 谷中の天王寺は室町時代の応永年間(1394~1427)頃の創建だという。 もとは日蓮宗で長耀山感應寺尊重院(ちょうようざんかんのうじそんちょういん)と称した、江戸時代以前に創始の、都内有数の古刹である。 1699(元禄12)年、幕府の命令により天台宗に改宗して、1833(天保4)年には感應寺から天王寺へと改めた。

  • 天王寺の外観1

    天王寺の外観1(2014/9/30撮影)

  • 天王寺の外観2

    天王寺の外観2(2014/9/30)

 五重塔跡は谷中霊園の中央のあたりにある。 地図で見れば「桜通り」と「ぎんなん通り」が交わるところだとわかるが、実際に行ってみると、どこが塔跡なのかわかりにくいかもしれない。 なにしろ五重塔そのものは現存しないのだから。筆者もその場所はなかなかわからなかった。 何度もその前を通っているのに気が付かず、そのうちやっとわかって
「ああ、ここがそうだったのか。ただの公園じゃなかったのか」
と思ったことをおぼえている。 ちょうどその場所の角に駐在所があるので、春には桜が咲いてトンネルのようになる「桜通り」を歩き、それを目印にすれば見つけやすいかもしれない。

 塔跡には礎石が残されていて説明板も立てられている。 そのすぐ後ろには遊具があって、まわりはお墓だが、子供たちが楽しそうに遊んでいることもある。 五重塔は最初1644(寛永21、天保元)年に建立されたが、およそ130年後の1772(明和9、安永元)年、目黒行人坂の大火によって焼失してしまった。 その後1791(寛政3)年に近江国高島郡の棟梁、八田清兵衛ら48人によって再建され、これが上野戦争(戊辰戦争)、関東大震災、太平洋戦争でも失われず、166年間この場所に存在していた。 これは幸田露伴の小説『五重塔』のモデルとしても有名で、谷中のランドマークになっていたが、1957(昭和32)年7月6日、放火によって焼失してしまった。

  • 五重塔跡地の遠景

    五重塔跡地の遠景(2014/9/30)

  • 五重塔跡地の入口

    五重塔跡地の入口(2014/9/30)

  • 五重塔跡に残る礎石1

    五重塔跡に残る礎石1(2014/9/30)

  • 五重塔跡に残る礎石2

    五重塔跡に残る礎石2(2014/9/30)

  • 在りし日と燃えた時と燃えたあとの五重塔

    在りし日と燃えた時と燃えたあとの五重塔(2014/4/4)